ちちぶ市移住日記

秩父市の移住に関する情報に加え、秩父市の魅力や個人的な日記などを掲載していきます!

日記 何かに「成る」のではなく私は私です。

※今回は移住とは関係ありません。

 

こんばんは。管理人のしおです。

ブログを始めてから、自分は唐突に何か言いたくなる・書きたくなる衝動があるのだということがわかりました。新しい自分を発見してイエーイという気分にはなりませんが、こういった自分もいるのだなと思います。

 

さて、子どものころに「将来何になりたいですか?」という質問がよくありましたよね。管理人はその質問が苦手でした。何になりたいと言われても、特に成りたいものないです。でも、何かしら言わなきゃいけないようなプレッシャーみたいなのを子どもながら感じていて、「えっと…、お花屋さん?」みたいなことを答えていたのを良く覚えています。

 

大学生になるまで、そのモヤモヤは考えないようにしていました。でも、何かに「成ら」ねばならないプレッシャーはずっと感じていました。この「成る」っていうのは何なんでしょうか。今日はそこら辺を考えていきたいと思います。

 

「成る」って何?

さて、「成る」の意味ですが、この言葉意味がとっても多いです。しかし、ここでの用法は、「変化する」という意味です。

 

それまでとは違う物・違う状態に変わる。
ある物がほかの物に変わる。 「おたまじゃくしが蛙に-・る」 「火事で家が灰に-・ってしまう」 「相手の身に-・って考える」
人がある身分に変わる。ある役・職業につく。 「将来何に-・りたいか」 「学芸会の劇で王子さまに-・る」 「若くして三人の子の母と-・る」
ある状態に至る。
「…になる」「…となる」の形で名詞を受ける。 「病気に-・る」 「クラスでトップに-・る」 「原稿が没に-・る」 「今夜は雪に-・りそうだ」
形容詞・形容動詞などの連用形を受ける。 「顔が赤く-・る」 「生活が豊かに-・る」
将棋で、王将・金将以外の駒が敵陣内へはいったりそこで動いたりして金将と同じ働きになる。飛車・角行は本来の働きを失わず、金将銀将の働きをも得る。 《成》

(コトバンクー「成る・為る(なる)とは」より。2017年6月5日閲覧)

 

特に人に対して使われる場合、「②-②人がある身分に変わる。ある役・職業につく」意味になります。というか、まんま例文出てます。

 

さて、これがどうして私を困らせていたのでしょうか。それは「何らかの身分を獲得する」=「あなたのアイデンティティという方程式を発信されていたからだと思います。これは言い換えると「何らかの立場を獲得しない人は、人とは認めません」というのを言外に言われているということです。つまり、はっきり見た目の分かる「あなた」を説明する何かを持っていない人は半人前、というか人ではないという意思表示です。

 

いや、質問する側は特に考えてないと思いますが、しかし子どもが将来何かに「成る」ことを疑わない姿勢は、大人になっても何かに「成らない」生き方を否定していることを意味します。子どものときはいいのです。「子ども」という立場がありますから。

どうして「立場」は必要なの?

さて、話は変わりまして、なぜ人は他人に対して「立場や身分」を求めるのでしょうか?それは、分かりやすく「あなた」を説明できる記号が欲しいからです。初対面では「この人はどういった人なんだろう?」って思いますよね。人間は分からないモノの近くにいると恐怖を感じます。つまり「あなた」が分かんないし、怖いから、分かりやすい「立場・身分」を聞いて安心したいのです。

 

また、もう一つ理由があるとすれば、「立場や身分」は他の人(複数人)からの身分の保証を得ているという側面もあります。つまり、「この人にはこの人以外にも仲間がいるから、少なくとも近くにいて危害を加えられるような性格はしていない」=「安心」も与えてくれます。あれ、結局同じか。要は「安心」を与えるんです。(もちろん立場には「権力」や「権威」といった影響もありますが、それは集団内部の場合。外部集団の人との接触においては効果が薄いと考えられます。)

 

このことから「立場や身分」社会生活において必要なことだと分かります。ずっと警戒されっぱなしだと、人は何にもできません。ある程度の信頼をスピーディに獲得するには立場を開示するのが一番効果的です。

 

立場をアイデンティティにする危険性

でもね、その「立場や身分」を「アイデンティティ」にするのは、また話が違います。「アイデンティティ」の定義は難しいですが、言うならば「わたしを構成するもの」です。私をつくるモノ、「わたしをわたしだと認識するために必要なモノ」です。一番分かりやすいのは名前です。名前というラベルがあって初めて、私たちは自分を他人と区別することができます。

 

「立場や身分」をアイデンティティにするということは、その立場や身分を使って自分を認識するということです。逆を言うなら、その立場を失えばアイデンティティを喪失することになります。例えるならば、「俺は社長だ」と思っていた人が、会社が潰れて社長じゃなくなった際に「俺はいったい何者なんだ」と自分が分からなくなります。危険。大変危険です。

 

結構、こういった人多いかと思うんですが、その元凶って「将来何になりたいの?」っていう素朴な質問の気がしてなりません。つまり、子どものうちに刷り込まれた、「何かに成る」=「自分のアイデンティティ」をそのまま素直に受け止めた結果、「何か」を失った場合に「自分」が分からなくなってしまうのです。

 

まあ、案外気づいてしまえばなんてことはないのですが、私は「何になりたいの?」ではなく「何がしたいの?」と聞いてほしかったです。別になんかに「成りたい」と思ったことはありません。今は地域おこし協力隊に「成って」いますが、それも今後の目標のための通過点であり、そのための手段として捉えています。決して「協力隊」を自分のアイデンティティにしようとは思っていません。

 

結局何が言いたのかというと、子どもが将来どうやって人生を歩んでいきたいのか聞きたい場合は、「何がしたいの?」と聞いてください。「何になりたいの?」だと何かに「成る」こと、何かに「成り続ける」ことを言外に要求しているのです。そうではなく「将来何がしたいの?」と聞けば、「世界一周がしたい」と答えられたのです。

 

上手くまとまりませんでしたが、これ以上書くとただの愚痴ですので今日はこの辺で。

ここまで読んでいただきありがとうございます。